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片雲の風

北海道在住の、旅とオートバイが好きな中年男の物語

10月31日(土)晴れ時々くもり
札幌⇒相模原

 いつものように前日30日夜に小樽から札幌の自宅に移動。翌31日朝、タクシーで新札幌駅、JRで新千歳空港駅へ行き、午前9時発エアドゥで羽田へ。空港内のこじゃれたバーガー屋で軽く昼食をとり、バスで相模大野駅へ。実家の両親が外出中で、しばし時間つぶし。今は校名が変わった母校の高校を訪れると、野球の公式戦が行われていた。校内を歩く生徒を見ると、僕がいた当時と制服が違う。校舎は同じなのに、なんだか寂しい気分だった。
 その後、駅近くのタリーズに入ったら、恋人同士とか若い人たちがたくさんいた。前にも書いたが、昔の相模大野はデートする場所なんかでは決してなかった。隔世の感がある。
 夕方、タクシーで実家に帰り、庭の柿の実をもいだりして時間をつぶした。家の前に昔からあった古いアパートが、新築の戸建てに変わっていた。夜は弟家族も合流し、相模大野で中華を食べた。



11月1日(日)くもり
相模原⇒大阪

 毎年訪れている西宮の親戚を訪ねるため、朝、父親にJR町田駅まで車で送ってもらい、JR横浜線で新横浜、新幹線で新大阪へ。横浜線では、車内から世間を騒がせているマンションが見えるかもしれなかったが、混んでいたこともあり、あえて見なかった。当該の住人からしたら「あれだよ、あれ。住んでいる人たち、かわいそうに」なんて目で見られたら気分悪いだろう。


PB011023.jpg新幹線の車窓から、富士山。日本人だから、やっぱテンション上がる。




 新大阪駅で降り、JRで西宮駅まで行き、タクシーで阪急西宮北口駅近くのレンタカー店へ。車を借り、おじ、おばを拾い、西宮のそば店「そば辰」でうなぎをごちそうになった。グルメなおじ曰く「この辺で一番おいしいうなぎは、この店」だとか。天ざるが有名らしく、多くの人が天ざるを頼んでいたが、うな重はなるほど、相当においしかった。僕はとんかつだけでなく、うなぎも好きで、ちょっとは味にうるさいつもりだが、ここのうなぎはそば店なのに相当レベルが高かった。かなり忘れられない味だった。
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その後、西宮市内をドライブ。故松下幸之助氏の邸宅があるエリアや、酒蔵通りなどを訪れた。


PB011029.jpg白鹿ミュージアムの駐車場。どこに止めればいいのか迷う。






 夜は阪急西宮北口駅近くの料理屋でまたごちそうになった。最後は家でお茶を飲んでお暇した。「来年も必ず来てね。楽しみに待っているよ」と手を振ってくれる二人を見ると、また行かなくちゃと思うのだった。
 阪急で梅田、タクシーで北浜のダイワロイネットホテル大阪北浜へ。ここに泊まるのは2度目。昨年泊まった新大阪駅隣接のホテルは満室で、こちらにした。こちらも寛げるいいホテルで気に入っている。






11月2日(月)雨のちくもり
大阪⇒大津市

 いよいよツーリング開始。しかし、天気予報通り、朝から雨。でも昼前にやむ予報。バイクを受け取りに、京阪枚方市駅までひとまず移動。スマホで雨雲レーダーを見ると、午前中でやむらしい。そこで駅前のスターバックスで時間をつぶすことにした。
 「ほうじ茶ティーラテください」。僕がそう注文すると、レジのお姉さんが言った。
 「ほうじ茶ティーラテおいしいですよね、私も好きでいつも飲むんです。ちょっとシロップ多めにして…」
 こういう感じ、関西らしくていい。東京や札幌では、あまり見られない光景。僕は大学院の2年間、大阪に住んだから少しは分かるが、この距離感の近さが、関西人の特徴だ。いい意味で馴れ馴れしい。
 気分良く、隣のカウンターで商品を受け取ろうとすると、受け渡しの別のお姉さんが言った。
 「あっ、赤いカップ。これ、珍しいんです。ふつうは白なんです。たまにしか赤が入ってないんです」
 「そ、そうなんですか。今日は雨だけど、なんかいいことあったみたい」
 「そうですね、雨降りですけど、喜んでもらえて嬉しいです」

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 るんるん気分で2階に上がり、窓際の席へ。そこで僕は、テレビドラマ「孤独のグルメ」に出演している松重豊さんのように、心の中でつぶやいた。
「なるほど、みんな白だ。オレだけ赤。悪くないぞ、この優越感」
 スマホで雨雲レーダーを見たら、雨雲はすぐに枚方、大津を通過する予報となっていた。さあ、飲んだら行こう。


 タクシーでバイクを送った運送会社まで行き、ツーリングスタート。第二京阪の枚方東ICから高速に乗り、京滋バイパスの石山ICで降り石山寺隣の「小松家」という店で1390円のしじみご飯セットを食べた。しじみご飯はやや薄味。好みの問題だが、僕には少し物足りなかった。でも、おいしかった。
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 続いて比叡山ドライブウェイと、二輪は平日しか走ることができない奥比叡ドライブウェイを走った。でも霧で視界が開けず、寒く、おまけに仕事の電話が何本も入り、そんなに楽しめなかった。延暦寺は昔じっくりと巡ったので、今回はパス。坂本まで行き、日吉大社へ。途中、雄琴温泉を通り、横目でチラチラ見ながら走った。
PB021036.jpg日吉大社で橋にせせり出した立派な松。
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日吉大社のおみくじの神猿(まさる)。この人形の中におみくじが入っている。末吉だった。写真はピンボケ。





PB021039.jpg旧竹林院




PB021044.jpg滋賀院門跡






 琵琶湖が目の前のホテルピアザびわ湖にチェックイン。
 夜はJR大津駅近くの居酒屋「とっくり」で夕食。地酒「喜楽長(きらくちょう)」を飲みながら、鍋をつついた。
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 ところで、大津駅前は琵琶湖方面に向かって急な段差がある。河岸段丘は聞いたことがあるが、ここは湖。どうしてこんな段差があるのか。「ブラタモリ」のように好奇心がわいたが、答えは分からない。
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PB021054.jpg僕は最近、アーケードがあると見に行きたくなる、アーケードハンターになった。浜大津駅近くにあったから、ぶらぶらと歩いた。時間は午後10時。ノラの黒猫と、「長い間、ご愛顧ありがとうございました」の張り紙と、不思議な老婆がいた。老婆はある店の経営者らしいが、こんな時間に外のベンチに座って、あたりをうかがっていた。失礼だが、正直不気味だった。最初、単に通り過ぎて、引き返してもう一度通りすぎる時、「おやすみなさい」と声をかけたら、え、そんな風に声をかける人もいるのといった感じで、ちょっと照れくさそうに「あ、はい、どうも」と答えてくれた。見た目で「なんか変な人」と判断した自分を恥じた。
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11月3日(火)晴れ
大津市⇒東近江市八日市


PB031057.jpgホテルの部屋からの眺め




 いい天気。まずは三井(みい)寺へ。2002年のツーリング以来2度目。近江八景の一つ「三井の晩鐘」で有名な鐘をつき、一年でこの日だけ一般開放しているという勧学院客殿を見学した。勧学院客殿はちょうど、団体客と一緒になって、寺の担当者が「どうぞごいっしょに」と言ってくれたので、お坊さんの解説付きというぜいたくなものになった。
 三井寺といえば、2002年に来た時、人みしりのやせ犬が境内を歩いていた。人間不信といった顔で、誰が声をかけてもすぐに逃げてしまう。僕はじっと犬の眼を見て「大丈夫だよ、怖くないよ」と言い続けていたら、そっとこっちに寄って来た。あの犬はどうしていたか気になっていて、売店のおばちゃんに聞こうとしたが、ずっと電話していて、一向に終わりそうもなく、聞くのを諦めた。


 三井寺を見終えると、もう昼だった。本当は石山寺に行こうと思っていたが、ただでさえ日が短く、大津の寺2か所で一日を終えそうになるのも嫌なので、石山寺はこの次の機会に。

近江八景の一つ「勢多(瀬田)の夕照」で知られる唐橋へ。
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 その後、膳所(ぜぜ)焼美術館へ。お猪口を二つ購入した。

 昼食は近江牛の名店「松喜屋」へ。「ぜいたく重」(3千円)をおいしくいただいた。ところで、店内に連れの人と大きな声で会話しているじいさんがいた。一番高そうなステーキを食べて悦に入(い)っているが、料理人に「なあ、そうやろ」などと相槌を求め、明らかに品がない。先ほど「いい意味で馴れ馴れしい関西人」と書いたが、僕の嫌いな関西人はこういう悪い意味で馴れ馴れしいタイプの人。経験的に、東京などによくいる「大阪から来ました」的なアピールをする関西人も、こんな感じの人。僕は東京と神奈川で育ったから分かるが、東京の人からすれば大阪も札幌も福岡も名古屋も一緒。みんな東京以外の地方都市。なのに、大阪の人は「大阪と東京」という目で両都市を見ている。だから、札幌や名古屋、福岡の人はそうしないのに、大阪の人だけ東京で「大阪から来ました」とことさらアピールする。それが痛々しい。別に東京が一番だなんて思っていない。いま札幌に自宅がある僕は、札幌が一番だと思っている。東京に変な対抗心をむき出しにすることが格好悪いと言いたいだけだ。
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 話が脱線した。
 おいしく食べて、ツーリング開始。甲賀市へ。「甲賀の里 忍術村」へ行ってみたが、三重県伊賀市の同様の施設に比べ大人が楽しめる感じではなかった。ただ、初めての手裏剣体験は楽しかった。

 この辺りは、日本における茶の栽培発祥の地だとか。土山の茶畑にて。
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 八日市ロイヤルホテルにチェックイン。この日の夜は、今回のツーリングにおけるメーンディッシュ。招福楼で食事。ホテルが用意したタクシーで八日市駅に行き、しばし散策。そして駅近くの招福楼へ。料理はたいそううまかった。ブログでの料理写真掲載はNGとのことで、お見せできないのが残念。
PB031075.jpg八日市のアーケード





PB031076.jpg八日市駅構内にあった公衆ファクス。珍しくない?





PB031086.jpg招福楼の玄関





 食事後は、招福楼の車でホテルまで送迎。





11月4日(水)晴れ
東近江市八日市⇒長浜市

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 近江八幡に移動し、最初に手漕ぎ舟による水郷めぐり。エンジン船でめぐるコースもあるが、やはり手漕ぎにしてよかった。それは、視覚的にも聴覚的にも、江戸時代の人と同じ時間を過ごしていると感じられるから。ヨシが生い茂っているため、水面に近い目線からはほとんど近代的な構造物が見えない。電柱とか建物とか。ぜいたくなスローな時間を楽しむことができた。
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 ところで、この八幡堀は1970年代前半に埋め立ての危機に瀕したという。高度経済成長のさなか、水質がどんどん悪くなり「埋めてしまえ」という計画ができた。そこへ「今、自分たちがいるのは、八幡堀による歴史があったからだ」と、地元青年会議所が立ち上がって、保存運動を展開した。その結果、埋め立ては免れ、水郷めぐりをする観光客などでにぎわう、今の近江八幡がある。

 似たような話が小樽にもある。小樽運河は、北前船などが運んできたコメなどの物資を、陸揚げするために1923年に築かれた。大きな船は沿岸まで来ることができないから、沖合で「はしけ」と呼ばれる台船に荷物を移し替え、はしけが運河まで移動、運河沿いにある倉庫に荷物を搬入するという仕組みだ。
 しかし、運河の完成とほぼ同じ時期に埠頭の建設が始まり、埠頭完成後は大きな船から直接荷物を陸揚げできるようになった。この結果、運河は使われなくなり、ヘドロがたまり、悪臭を放つようになった。そこで八幡堀同様に60年代後半に埋め立てることになった。その上で6車線のバイパスを通す計画だった。
 これに対し、地元の若者たちが立ち上がり、保存運動を展開。全国的にも有名になった「運河論争」の幕開けとなった。論争は国会でも取り上げられた。まちを二分する論争が繰り広げられた末、最終的には1983年に1300メートルある運河の南側600メートル部分のうち、東側半分を残し、西側半分を埋めてバイパスにした。
 埋める際、保存派の人たちがシュプレヒコールを上げ「埋めないで」と泣き叫んだという。皮肉にも、この論争で小樽の知名度は全国区となり、「どれ、その半分だけ残ったという運河とやらを見に行ってみるか」という人たちが大挙として小樽を訪れるようになり、小樽は観光地になったのだ。今や「行ってみたい観光地」の全国上位に名前を連ねる小樽だが、観光地になったのは80年代に入ってからなのだ。
 埋めなかった近江八幡と、半分だけ埋めた小樽。どちらも観光地として有名だが、運河沿いに6車線のバイパスがある小樽は、近江八幡に比べて風情に欠ける。運河の両岸に倉庫があって初めて、往時の面影が伝わるのだ。運河、バイパス、倉庫の順番では、歴史のストーリーが視覚的に伝わってこない。これでは感動も伝わらない。だから、小樽運河は「がっかり」な観光スポットとしても名前が上がってしまうのだと思う。


 水郷めぐりの後は、歴史的景観が残る中心部を散策。昼食は新町浜という店で「葦(よし)うどん」を食べた。ふつうにおいしかった。
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 食後のデザートは、大ブレーク中の「たねや」の焼き立てバウムクーヘン。「ラ コリーナ近江八幡」という同社のフラッグシップ店で10分くらい並んで食べた。個人的には、柔らかくておいしいなという感想だが、大騒ぎするほどの味ではないかな…と。でも、お土産で買っていったところ、職場の人たちは「すごーい、おいしい」と大好評だった。
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ラ コリーナ近江八幡の斬新なデザインの建物




PB041101.jpg滋賀県内あちこちにいる「とび太くん」





PB041103.jpg近江八幡はメンタームで有名な近江兄弟社の本社がある。銅像は、創始者のヴォーリス。




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国宝彦根城

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玄宮園





 長浜市に移動し北ビワコホテルグラツィエにチェックイン。宿の和食レストラン「竹生島」で夕食。地元名物の焼き鯖そうめんは絶品だった。写真で見た時から「絶対においしいよ、これ」と思っていた。
 ウェイトレスで、超キレイなコがいた。あのコが仮にミス長浜だと言われ、否定する男はいない。「絶対にミス長浜だよ、このコ」と思った。
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11月5日(木)晴れ
長浜市⇒高島市今津

 朝一番でホテル前から船に乗り竹生島へ。
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 午後2時ごろまで長浜市内を観光。慶雲館を見て、街並みを散策した。昼は「鳥喜多」で親子丼と、地元名物の「のっぺいうどん」を食べた。どちらも、まあ、ふつうにおいしかった。
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 米原市の中山道柏原(かしわばら)宿へ。「もぐさ」というお灸の産地として江戸時代、全国的に有名だったとか。静かな宿場町でよかった。このまちにある歴史館で「寝物語」なるものを知った。ここは近江と美濃の境にあり、当時は境界線の小さな小川を隔てたあっちとこっちに旅籠があり、夏は違う国の旅人同士、開け放たれた部屋で寝ながら旅談議に花を咲かせたという。なんて情緒的なんだろう。思いをはせただけで、この小さな宿場町での観光が有意義なものになった。ちなみに、歴史館でもぐさを買って帰ろうかと思ったが、やったことないしと思ってやめた。
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 長浜に戻り、琵琶湖沿いを高島市今津まで走った。けっこう距離があり、着いたときは日が暮れていた。今津サンブリッジホテルにチェックイン。夜は、ホテルのレストランで地元名物だという「とんちゃん唐揚げ」の定食(1663円)を食べた。個性的な味で、正直おいしかった。その後、まちに繰り出してバーへ。バイク好きマスターがいて楽しめた。
 部屋に戻って、やっぱり気になった。タバコの臭いだ。予約時、禁煙の部屋にした。タバコが大嫌いな僕は、そうじゃなきゃ泊まらない。なのにチェックイン時、ほのかにタバコ臭。空調のせいだと思って、エアコンを止めて外出。戻ってきたが、やっぱり臭う。フロントに「ここ、本当に禁煙の部屋ですか」と電話すると「喫煙室の消臭対応になっております。予約時の条件に、そうなる場合があると記してありますが、チェックイン時にお伝えすべきでした。シングルの禁煙はもういっぱいなのですが、ツインで禁煙はございますので、お取り換えいたしましょうか」と言われた。この日、僕は風邪のひき始めで喉が痛く、長浜で薬局に行き、薬を買って飲んだくらいだったので、遠慮せずに変えてもらった。そうしたら、加湿器も持ってきてくれた。ありがたかった。
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11月6日(金)晴れ
高島市今津⇒草津市

PB061162.jpgホテル玄関脇にバイクを止めさせてもらった。バイク乗りとしては、ちょっと嬉しい対応。





 最初に行ったのは、高島歴史民俗資料館。今、僕が住む小樽に高島という地区があるから、関係があるかと思ったが、資料館の人は「高島から集団で北海道に渡ったという記録はないはずです」と説明した。残念。
 次は針江生水(しょうず)。以前、テレビで見たのを覚えていて、行ってみた。ただ、「案内人のツアーなしに、勝手に散策しないで」といった注意書きがあったので、この水車の場所だけにした。中にはマナーの悪い観光客もいるのだろう。
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 この後、前日は暗くなったため通りすぎただけだった、余呉湖方面へ。
 昼食は、木之本(長浜市)にある料亭「すし慶」へ。鯖の棒寿司が有名らしく、行ってみたいと思った。棒寿司は鯖が肉厚で、今までに食べた鯖の棒寿司の中で最もおいしいと思った。
PB061169.jpg3600円




 次に行ったのは、向源寺。ここには国宝の11面観音があり、日本の彫刻史上、最高傑作とも言われているらしい。撮影禁止だったから、この場で紹介できないが、優美な顔、しなやかな体は、素人が見てもひかれるものがあった。ちょうど、東京芸大の学生グループが来ていて、教授みたいな人の解説を聞くことができたのもよかった。
PB061172.jpg寺の入り口。門を遮るように松?がはえていた。





 この後、大浦街道を通って福井県境方面まで走ろうと思ったが、途中で通行止め。やむなく引き返した。
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 余呉湖へ。理由は分からないが、琵琶湖北端のそのさらに北側に、ちょこっとあるこの小さな湖が、なぜだか以前から気になっていた。1周して、だから何だというわけでもないのだが、満足した。
PB061174.jpg余呉駅。無人駅で、乗客も一人もいなかったが、地域のおばちゃんが一生懸命、ホームにあるごみ箱の清掃などを行っていた。とても愛想のいいおばちゃんで、北海道から来たと言ったら、ひゃーと声をあげていた。僕は、地味でもコツコツと、一生懸命にまじめに、誠実に生きている人がとても好きだ。すごく尊敬できる。このおばちゃんは給料をもらっているのか、ボランティアなのか知らないが、どっちにしたって、せっせと働く姿は尊かった。






PB061175.jpg在原集落(高島市)。つづら折りの細い坂道を登って行くと急に平地になり、この集落が現われた。桃源郷に迷い込んだような、不思議な感覚を味わった。






PB061176.jpg高島市マキノにある、メタセコイアの並木道。マキノは今でこそ高島市の地名だが、かつてはマキノ町という独立した自治体だった。そう、日本で最初のカタカナ名の自治体として有名だった。中学生のころから地図帳を見るのが大好きだった僕は、マキノ町は特別な存在だった。どんな町なんだろうと、ずっと心のどこかで思っていたが、美しい並木道のある魅力的な町だった。





 国道367号を走って琵琶湖大橋へ。もう薄暗くなっていたので、ただ走るだけになってしまった。琵琶湖大橋を渡る直前、標識で右折すれば雄琴温泉方面だと知ったが、横目でちらっと見て、まっすぐ走った。
 橋を渡って150円を支払ったころ、すっかりと日が暮れた。そして草津駅前のホテルボストンプラザ草津にチェックイン。
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 「バリバリジョニー」という地元のラーメン店で食事。今までに食べたラーメンの中で、一番コッテコテだった。でも、どこか癖になる味だった。店長思しき男性の接客がよく、厨房から客席に来ては、ひざまづいて客に笑顔で一言二言話しかける。僕のところにも来て、アクセントで遠くから来たと思ったのだろう、どちらからお越しでと、笑顔を振りまいた。「札幌に進出してください」と言ったら、「行きたいですねぇ。そんときは、僕の顔覚えといてくださいね」と言っていた。





PB061180.jpg草津中心部のアーケード。この日は「草津街あかり」というイベントを行っていて、とても多くの人が歩いていた。この日だけ、こんなに活気があるのか、いつものことなのか分からなかったが、いかがわしい店がなく活気がある街は、とても健康的で好感が持てる。




PB061181.jpg草津中心部のマンション。きらびやかで存在感を放っていたが、酔っ払って帰ったら部屋を間違えそうだ。







11月7日(土)曇り
草津市⇒彦根市

PB071182.jpg草津駅前





 まず県立琵琶湖博物館へ。続いて、近江八幡市の堀切港へ移動、船で琵琶湖に浮かぶ沖島へ。所要時間は10分ほどで、運賃は500円。ここは日本で唯一、人が住む湖の離島だという。
PB071184.jpg沖島の港


PB071188.jpg沖島の食事処「汀(みぎわ)の精」。島の食材をふんだんに使った料理でおいしかった。


PB071189.jpg島の風景





 古い街並みが残る五個荘(ごかしょう=近江八幡市)へ。近江商人発祥の地の一つだという。それにしても、標識があまりなく、さんざん迷った。
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近江商人屋敷3館共通券を購入し観光。地元中学生が職場体験実習として、案内をしていた。






 この旅2度目の彦根へ。日没直後に市街地に入ったら、夢京橋キャッスルロードが幻想的な光景。江戸時代の旅人が、ようやく宿場町にたどり着いたら、こんな感じだったのかなと思った。
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 彦根グランドデュークホテルにチェックイン。まちに繰り出し、「本気」という店でご当地グルメの近江ちゃんぽんをおいしくいただいた。
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 ホテルサンルート彦根内にある「シスル」というバーで、地酒を使ったカクテルなどを飲み、最後の夜を楽しんだ。
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11月8日(日)雨
彦根市⇒小樽市

 最後の日は朝から雨。仕方なく、傘をさして市内を散策。



PB081196.jpg喫茶店「彦華堂」。おしゃれな雰囲気の店。雨のせいか、客は僕一人。「雨宿りさせてください」と中に入ると、笑顔が素敵なおばちゃん(店長)が「どうぞ、どうぞ、いつまでも」と迎えてくれた。1時間ほど、のんびりとした時間を過ごした。地元の社会福祉法人が運営する店で、障害を持つ方々が作ったクッキーなどをサービスでいただいた。雨で憂鬱な気分だったが、心温まるもてなしだった。




PB081197.jpg「七曲がりの仏壇街」。江戸時代に武具を作っていた職人たちが、明治になってその必要がなくなり、腕を生かして仏壇づくりを始めるようになったことから、仏壇街が生まれたそうだ。




 午後1時。逆算してこの時間に彦根を出ないと、伊丹空港の飛行機に間に合わない。でも雨は小雨だが降り続いている。仕方なくカッパを着て出発。高速道路で一気に大阪へ。今回は、摂津市の業者にバイクを持ちこんだ。初めて行く場所で、最寄インターは近畿道の「摂津北」。北周りで行くか南周りで行くか悩んだ末、ジャンクションの数が少なくて済む北周りで行ったら摂津北で降りられず、摂津南まで走るはめに。おまけに、降りた後もユーターン禁止ばかりで、地下鉄大日(だいにち)駅の方まで走ってやっとユーターンできた。
 ツーリング最終日に雨が降ると、濡れたカッパも持って帰らないといけない。以前、徳島で濡れたカッパをバイクのパニアケースにしまって業者に預けたところ、後日札幌で受け取った際にカッパにカビが生えていた。
 業者の方に「JRの岸辺駅に行くのでタクシーを呼んでほしい」とお願いしたら、新大阪駅まで車で送ってくれた。そこからバスに乗って伊丹空港へ。後で分かったことだが、業者の最寄り駅の大阪モノレール南摂津駅から伊丹空港までは直通だった。
 新大阪駅でバスに乗ろうとしたら、ANAからメール。離陸が1時間半遅れになるとのこと。17時半発が19時になってしまった。空港でとんかつを食べ、ラウンジで時間をつぶした。小樽の家に帰ったのは23時くらいだった。

お土産各種(相模原の実家の柿や、西宮でもらった、なぜか岩手の菓子なども含む)
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